宗教の話をしたい。
※暗い話なので苦手な人は見ないで〜。
安倍元首相の事件から二世信者という言葉が世に出始めて、私の生きづらさとかモヤモヤも元二世信者であるが故と説明しやすくなったなと思います。
(事件はあってはならないことだけど、二世信者の事が知られるきっかけになったなと。)
私の母は初めはまぁ普通のクリスチャンで、旧統一教会やエホバのような宗教ではなくて私も二世信者と言っても本当にや〜んわりとしたグレーゾーンな感じなんだけど。
大人になって夫に あなたも元二世信者だよね と言われてどこが普通と違ったのか振り返ってみました。
私が小学生くらいまでの頃は、まぁ普通に日曜日は必ず毎週教会の礼拝に連れて行かれてました。
別に強制ではなくてそこで適当にお絵かきしたりして過ごす感じで。
お小遣いから献金させられたりはたまにありました。
あと嫌だったのは、私の学校の友達の家に教会のチラシを配ったり勧誘したりする所。
私達は既に救われていて、他の救われてない人を誘わないのは(救ってあげないのは)罪なんだと言われて熱心に配ってました。
子供ながらに私達は天国に行けるけど友達はみんな地獄に行くんだと、住む世界が違うように感じて線引きして見てました。
普通に仲良くはしてたけど。
あとよく言われたのは、人間は生きてるだけで欲望があって罪人だから、毎日神様にそれをお祈りして赦してもらわないといけないと言われて寝る前に毎日罪を赦してくださいとお祈りしてました。
信仰のない子供にはよく意味もわからず、ただ自分が悪い所があるから謝って許してもらってるとしか思えなかったと思います。
それが多分今の自己肯定感の低さに通じる所があると思う。
そして母は私がクリスチャンになることを強く望んでいて、イエス様がただ十字架にかかって亡くなったことを信じればいいだけと何回も言われてました。
私がイエス様が降りてきたよ!と母に駆け寄る夢まで見たと言ってたし。
その期待がすごく重かった…。
自分に信仰心なんてない、なんか母はおかしいと段々気付いていったし。
あと、クリスチャンだから文化が違うと言って七五三や墓参り等の行事なんかはやらなかったです。
そういう所では周りと話が合わなかったりして今も常識が自分にはない感じがしてます。
そして何か悩みを話しても 聖書を読みなさい、そこに答えが書いてある とか 神様に聞けば答えてくださる とか言って母の言葉ではあまり相談に乗ってくれなかった。
これ1番意味不明。
それでも私は物心ついた時から母が1番正しいと思ってたし母の言う通りにしないと嫌われると思ってクリスチャンになろうとしてたけど信仰心は持てなくてずっと宙ぶらりんなまま悶々としてました。
そして私が20歳くらいになった頃、母は札幌に拠点がある宗教団体に入ってそこからますます熱心になっていきました。
なんか偉い先生が居て、その人の教える聖書の話が1番正しいとか言って毎日その人の話が録音されたカセットテープを聞いてノートにメモしてそれを家族に話して聞かせるということを始めました。
勧誘もすごくしてたし完全に洗脳されてる感じ。
北海道の拠点にも行ってたし関東で開かれる集会にも通ってました。
挙げ句にその宗教の拠点を地元にも作るって言って実家の物置を自腹で改装して教会みたいなスペースを作ってそこに宗教関係の人が集まっていろいろ活動するようになりました。
そこに精神障害者や引きこもりみたいな人を住ませて神様の力で良くしていくという活動をしてました。
その活動がもう母の生きがいというか全てで、その宗教の偉い先生の言う事が絶対で完全服従みたいになってました。
私の過去3回の出産の時も、その先生に宗教の活動に専念するように言われて産後の手伝いは1度もしてもらえませんでした。
里帰りも手伝いも断られました。実母なのに。
なので今回は最初から頼まなかった。
1番今でも恨んでるのは、私が結婚前に働いてた職場の同僚が突然死した時に、悲しむ私に母は、あんたが神様のことを伝えなかったせいで死んだんだよ と言ったこと。
傷口に塩を塗るような発言にショックを受けました。
その後すぐ結婚して家を出たけど、その時もまだどこか母が正しいって思ってて、それを時間をかけておかしいと気付かせてくれたのが夫でした。
私は大人になっても、クリスチャンにならなかったら罰が当たる、地獄に落ちる、不幸になると怯えていて、どこか違うと思っても自分がクリスチャンになれないと完全に認められなくてモヤモヤしてたけど、夫は根気よく、バチは当たらない、不幸にもならない、大丈夫と言い聞かせてくれました。
クリスチャンからすると夫の方がサタンて言われるけどね。
これまでの人生で、クリスチャンではなくても素敵な人にたくさん出会って、この人たちが地獄に落ちるなんておかしいと思ったし、だったら自分ももうどうでもいい、自分が幸せになるように生きたいと思ってそれでようやく、クリスチャンになるという鎖を手放して生きられるようになりました。
母からもらった聖書はブックオフに出した。
埼玉時代は母と絶縁も考えてたけど子供達には普通のおばあちゃんだし、母もあの頃よりも今はだいぶ宗教宗教しなくて普通に畑のこととかがメインの生活になって穏やかになりました。
私が宗教関連の話を拒否し続けたのもあって先生がどうのって言わなくなったし集会にもあんまり行ってないみたい。
近くの礼拝に週イチで行くくらい。
なので関係はだいぶ修復できたけど未だに宗教の話は完全に受け付けないし過去のことも許せはしない。
ただ程よい距離でちょうど良く付き合っていけたらいいと思ってます。
まだまだ自己肯定感の低さや生きづらさは感じるししんどい日もあるし…それが根底にあるからこうして日々ブログやなんかで自分の幸せを拾って集めて生きてます。
子供には自分できちんと向き合って自分の言葉で接してあげたい。
ちょっと暗い話だけど、こんな人も居るんだよ、とか、同じような人居るかなと思って書いてみました。
愛情は受けて育てられたとは思います。
明らかな虐待も無かっただけいいとは思ってます。
感謝してる部分もある。
だから離れられないんだと思うんだけどね。
あ、あとクリスチャンが全てこうではなくてうちの母がちょっと変だったと思うって話です。
クリスチャン批判ではないです。
これから2歳ちゃんの面談!
では。